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学生による茨城観光・生活紹介
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悪いことばの影響
みなさんは「悪い言葉」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。悪い言葉と聞いて連想することとして、単純に悪口だったり、また皮肉めいた言い回しだったり、色んな種類が浮かびます。また、影響とは何でしょうか。悪い言葉を使うことによる何かしらの影響について、では範囲が広すぎる気がします。私たちも話し合いを進める中で、このような悪い言葉の定義について悩みました。その中で、今回は悪い言葉の定義を「侮辱的な表現や罵りの表現で、他の人を攻撃する意図を持った言葉」とすることにしました。
今回は、アメリカの学生と意見交換をする機会があったので、日本とアメリカで「悪い言葉」においてどのような特徴があるのかを調べました。
現代の日本では、ルッキズムという言葉があるように、人々は外見という要素に囚われているのではないかと感じます。自分のコンプレックスは、他人への攻撃に変わりやすく、私たちが思い浮かべる学校やSNSでの悪口といえば真っ先に外見への誹謗中傷が思い浮かびます。また、その人の知性や運動能力などの能力面でも、周りよりも能力が劣っているように見える人を言葉で攻撃することは珍しくないように思えます。日本人の「悪い言葉」の特徴として、外見・能力に関するケースが多いと話し合いました。
続いて、アメリカ人の場合について考えてみます。日本人の「悪い言葉」の特徴は、個人の外見や能力に向けたものであったことに対し、アメリカ人で場合は少し様子が違うことが分かりました。アメリカは、ポリコレ(ポリティカルコレクトネス:政治的妥当性)という言葉通り、人種・ジェンダーに対して、おそらく日本よりもかなり敏感な国だと思われます。アメリカの学生のインタビューでも通しても、アメリカ人の中では人種差別的な発言が一番の悪口だということが分かりました。このことから、アメリカ人の「悪い言葉」とは、主に共同体に関する差別的発言という特徴があることが分かりました。
ここまで、日本とアメリカの「悪い言葉」に対する相違点を考えてきました。では、共通点と呼べることはないのでしょうか?
悪い言葉として、「クソ○○」などの表現が挙げられると思いますが、皆さんのお気づきのとおり、この表現はすべての場合においてネガティブで攻撃的な意味を表すとは限りません。程度の大きさを表すときや、仲の良い人間関係のときにフランクな会話で用いられる表現でもあります。それはアメリカでも同じようで、「fucking ○○」といった表現でも用いられることがあるようです。
悪い言葉の中にも、攻撃性を持たないものが含まれていることには留意しなければならないでしょう。
悪い意味だけで用いられることはないと分かったうえで、それでも悪い言葉遣いをする人に対してあまりいい印象を持つ人はいないのではないでしょうか。日本もアメリカでも悪い言葉の使用者への認識は同じようで、教育レベルの低さ、語彙力や自制心の欠如、無礼な印象を受けるということが分かりました。砕けた表現を使うことで親密さを表すことができるとはいえ、悪い言葉遣いで感情表現をする人にはあまり知的な印象は持たないというのが双方の学生の意見として一致しました。
では、なぜ人は悪い言葉を使ってしまうのでしょうか。学校教育の中ではもちろん習わないはずです。その原因は、幼少期にあると考えられ、まだ母国語を十分に会得していない段階で、自分の感情を簡単に表現するための手段として悪い言葉を用いるのではないかと推測しました。自身の使っている言葉がどのような意味を持っているのか、よく理解していないうちにそのような言葉を使っているということは十分にあり得るでしょう。また、家庭環境や親の言葉遣い、経済状況などの環境面にも原因がありそうだという話も挙がりました。
ここまで悪い言葉について色々な面から考察をしてきました。アメリカの学生との話し合いでは、あまり影響についての議論をすることができなかったので、参考文献をもとににまとめたいと思います。悪い言葉の影響と聞いて、我々が真っ先に思い浮かべたのはいじめ問題です。 日本教育心理学会が出している論文によると、他者を傷つけたり、やる気を失わせるような言葉が蔓延している集団では、いじめなどの問題を避けることはできないだろう。としており、コミュニケーションの場が、教室だけでなくLINEやSNSにまで広がった現代の子供たちは、いじめの発端がLINEでの発言や噂であることも珍しくないようです。悪い言葉を使うということは、いじめ問題というひとつだけを取っても、人傷つけることが十分にありえることを理解することが必要ですし、これを自覚することで社会問題に対処できる一つの術を得られるのではないでしょうか。