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留学体験・協定校情報
今までで最も感謝を実感した時間
人文学部人文コミュニケーション学科
留学期間2016年9月~2017年1月
私は2016年9月から2017年1月までの半期、台湾に行って交換留学をしました。帰国してからもう少しで1か月が経ちますが、今でも留学生活の余韻は残っています。それほど私にとって、台湾での留学生活は楽しく充実した日々でした。もちろん、日本でさまざまなことを犠牲にしましたが(特に単位)、それでも留学を決めた自分の選択は間違っていなかったと思います。その犠牲なんてちっぽけに思えるといっては大げさかもしれませんが、留学して本当によかったです。以下、いくつかの項目に分けて私の体験をお話しいたします。
1. 留学が決まるまでの経緯
私はもともと高校生の頃から留学したいという願望がありました。しかし、その気持ちは今時だれでも持っているような「いつかしたい」という程度の軽いもので、その軽い気持ちを大学でも抱いていました。中国語圏に留学しようと思った一番初めのきっかけは、未修外国語として履修していた中国語の先生の話でした。先生は中国人で、授業中に中国の魅力を熱烈にアピールしてくださり、その話を聞いて中国に行きたいと思うようになりました。その後「もしも留学をしたら…」という設定で、自分の行きたいコースや留学を生かせそうなコースの先生と面談をし、さらにその繋がりを通して、偶然台湾留学から帰ってきたばかりの先輩とお話しする機会がありました。先輩と会話していくうちに自分には中国より台湾のほうが合っていると思い始めました。さらに繋がりはまだあり、その先輩と話した日の週末、台湾からきた交換留学生と一緒にご飯を食べる約束に私も急遽行くことになり、そこで初めて台湾人から話を聞くことができました。いよいよ留学への意欲が高まった私ですが、あともう一歩の勇気が足りませんでした。そこで、決め手となったのは、サークルの先輩が留学するという知らせを聞いたことでした。それを聞いて、私も迷う余地もなく、正月の帰省の時に両親に交渉をしました。おそらく「ここで立ち止まっている場合じゃない」と思ったのだと思います。しかし、経済的理由から最初は親に許可してもらえませんでした。こうなることは予想していたので、留学の費用を把握したうえで、自分で費用を貯めることを条件にして結果的に留学を認めてもらいました。筋道を立てて親に自分の意見を主張したのはこれが初めてでした。自分にも人を説得する力はあるのだと悟りました 。
2. 留学が始まるまでの心境
留学の準備は前期の授業と同時に進めました。私は海外に行くのも飛行機に乗るのもこの留学が初めてだったので、不安を抱えながらの作業でした。1つ1つの準備に時間がかかりけっこう面倒でした。また、前期のうちにとれるだけの単位をとろうとしたため、授業も多く履修し多忙によるストレスのために体調を崩すこともありました。今振り返ってみるとこの期間が最も苦痛でした。それでも、準備を順調に済ませ、出発の日が刻一刻と近づいてきました。寂しさが募るなか、友人やサークルの仲間、そして家族が、一時の別れを告げるとともにメールや手紙で励ましてくれて9月は何度も泣きました。悲し涙でも嬉し涙でもなく、「ありがとう、頑張るね」という感じの涙でした。自分の周りにはたくさんの支えてくれる人たちがいるのだと本当に思いました。
3. いざ、留学へ。
留学生活が始まり、茨大よりも何倍も広いキャンパスで迷子になる日々が何日か続きました。学校の敷地内に寮があったので通学はとても樂でした。また、部屋は4人部屋で4人中3人が日本人1人インドネシア人だったので部屋に中国語が一切飛び交うことはありませんでした。基本は英語で話し、時折お互いの母語を教えあいました。部屋に日本人が多かったのでホームシックになることはありませんでした。また、ルームメイト関しては、仲はいいですが個人の行動が目立っていたため、部屋で日本語を話しすぎるということもなく居心地がよかったです。しかし、部屋を出てしまえば、向かいも隣も斜めも日本人留学生ばかり住んでいたので、日本語に甘えてしまいそうな環境でした。日本語を話せる環境の中で、いかに自分で自分を追い込めるかという挑戦が静宜大学にはありました。その点が、他の留学先では経験できないことだと思います。
自分を中国語の中に放り込むために、私はストリートダンスサークルに入りました。日本でもダンスをやっており、生きているうちにダンスを通して言葉の通じない人たちと繋がってみたいという目標があったので、それを達成する場となりました。国籍関係なく、相手のダンスを認めるということがその人の存在を認めることになると思うので改めてダンスの素晴らしさを学びました。また、私のコミュニティーの中心はサークルとなり、サークル仲間とはほぼ毎晩練習後にご飯を食べに行きました。その時間が私にとって最も幸せな時間で、中国語のスキルアップの時間であり、彼らとの絆を深める時間でありました。彼らとの最後の食事の時には色紙や手紙をくれたり、前の日に別れを告げたと思いきや、帰国で空港に向けて出発する時にサプライズで見送りに来てくれたりしたので、私を単に留学生ではなく、一人の仲間として認識している気がしてとても嬉しかったです。中国語の伝わらない自分を喜んで歓迎してくれた先輩方には感謝しかありません。
4. 普段の生活について
私は毎朝8時10分から中国語の授業を受けていました。大学の授業も受けていたのですが、こちらに関しては、興味のある授業のほかに、苦手分野で日本人向けに開講されている授業をあえて履修して挑戦しました。やはり難しくて苦手は克服できませんでしたが、たまには苦手に向き合ってみるのもいいと思います。学校のイベントで驚いたことは、静宜大学には文化祭がなく、代わりに運動会があるということです。台湾人の友達が日本の文化祭を羨ましがっているのが印象的でした。週末は夜市に行くことが多かったです。台湾は交通費や宿泊費がとても安いので、週末台北や高雄など、台中から少し離れた場所に遊びに行く人もいました。私の日常生活のまとめとしては、台湾は日本に近く観光にも行きやすいため、観光よりも日本にいた時と同じような普段の生活を大切にし、そこから新しい発見をしていきました。
5. 中国語について
初級の授業があるので中国語を習ったことのない人でも心配ないと思います。実際、習ったことのなかった人の上達が著しくて、習ったことのある私たちが焦ったこともあります。中国語を習得するには半期では時間が足りませんでした。発音がかなり直されたり、学習済みの文法が実用的にはまだ使えなかったり、日本で身に付けたものがごくわずかだったのだと感じました。また、受験勉強のようなことを言いますが、聞き取れるようになるためには、単語力が第一に必要だと実感し、日本であまり勉強できなかったことを反省しました。このあたりに関しては、確かに留学に行ってからでも十分補えるのですけどね。
6. 留学を通して感じたこととこれから
これは二つあります。一つ目は、周囲の人へのありがたみです。留学を決めるまで、留学前、留学中、すべての期間で誰かに感謝をしました。普段から存在しているのに気がつかなかった優しさにこの留学を通して気がつくこともありました。自分を応援してくれる人たちがこんなにも多いことを知り、それがどんなに心強いことかも知りました。留学で出会った人たちに限らず、今まで出会った人たちすべてに感謝したいです。
二つ目は、日本をもっと知りたいと思ったことです。台湾人は台湾のことも日本のことも知っているのに、私は日本のことを全然知らないので、母国に対する姿勢を見習いたいと思いました。また、外国の文化に触れる時によく日本と比較してしまうのですが、実際日本についてはあまり知らないので、「日本はどうなのだろう」と純粋に興味が湧きました。日本についてあまり知らないどころか、自分の住んでいる県さえ全然知らないので、まずは身近なところから知ろうと思います。中国語は好きなので、これからも勉強し、台湾から友達が遊びに来たら日本を案内し、私が留学していた頃よりももっとたくさんおしゃべりするのが目標です。