学生による茨城観光・生活紹介
Project
留学活動はどのようにして留学生の人生を変えたのか
インタビュワー:永島彰人、Hasan Ramadhan Fadel
自己紹介
アキさん: まずは簡単に自己紹介をしたいと思います。では、人文社会科学部2年生の永島彰人と申します。今日はよろしくお願いします。
パンダ:よろしくお願いします。
ハサン:はじめまして。私はハサンと申します。インドネシアのSOEDIRMAN大学の日本語学科3年生です。今、茨城大学でオンライン授業を受けています。どうぞよろしくお願いいたします。
パンダ:私はパンダと申します。タイ人です。よろしくお願いします。
選んだ理由
アキさん: パンダさんはいつ茨城大学に留学していましたか。
パンダ:2018年4月から2019年の2月までです。つまり、10か月です。
アキさん:10か月は結構長いと思うんですけど、どうして茨城大学に来ようと思ったんですか。
パンダ:私の大学と茨城大学は留学生をお互いに送るという協定があります。茨城大学だけではなく、ほかの大学も協定がありますけど、私は茨城大学を選んだ理由は一つ目は物価がちょっと安いからです。部屋の家賃がちょっと安いです。そして、東京の近くにあるのに結構静かなので、それで選びました。東京に行くのは2時間ぐらいかかるだけですから、よく東京に遊びに行きました。渋谷とかによく行きました。
パンダさんのタイの大学との違い
アキさん:パンダーさんのタイの大学と違う所はありましたか。
パンダー:まず教え方が違いますね。日本語で日本語を教えるし、それに活動が多かったです。あとは単位の取り方ですかね。でも、私は留学生ですから、なんかよく単位のことが分からなかったんですね。
アキさん:タイだと単位はあんまり関係ないですか?
パンダ:なんか日本に留学してたときは単位とか、成績のことはあんまり興味なかったんですよ。ただ、楽しく日本語に慣れるために茨城大学に行こうと思ってただけです。だから、生活してみて、それだけですね。あんまりなんか真面目に勉強していなかったです。
アキさん:でも、生活しているだけで十分勉強になってたんじゃないですか。
パンダ:でも、授業で一番辛かったのは、異文化の授業ですかね。それは普通の日本人も受ける授業ですから、その時、私の日本語は全然ダメだったので、それちょっと辛かったです。Dをもらった授業もありました。それは日本人のための日本語の授業です。
日本に行く前、住んでいる時、タイに帰ってから感じたこと
パンダ:私は日本に行く前、全然日本語が喋れないですよ。
アキさんそうなんですか?
パンダ:本当ですよ。
アキさん:パンダさんはすごいですね。
パンダ:でも、みんなそうじゃないですか? だれでも日本語に慣れたら、喋れます。日本に着いて最初の日に日本人の友達に「敬語はやめて」と言われたけど、私は敬語しか分からなかったです。例えば、友達が「ご飯食べた?」って聞いてきたら私は分からなかったんですよ。でも、「ご飯を食べましたか?」と聞かれたら、「ああ、はい、食べました」って。最初に日本に行ったときは結構、私は「ます」と「です形の両方を使っていました。例えば、「ご飯を食べましたか?」と誰かが言ったら、「はい、食べますです。」と答えました。でも、一年間のあとでこんなに喋れるようになりましたよ。
カルチャーショックを体験したこと
ハサン:パンダさんはカルチャーショックを体験したことがありますか。
パンダ:あります。そうですね。日本人はいつも素直じゃないかな? いつも直接言わないから、ちょっとショックですね。でも、みんなが教えてくれましたから、大丈夫だと思います。例えば、一番面白かったのは友達は可愛いものを見た時に、「それ見て可愛くない?」って聞いたら、私なんかあまり日本語がまだ上手じゃないですから、「うん、可愛くない」って答えました。あとは、地震がある時に携帯電話の「地震です!地震です!」のアラームにはびっくりしましたよ。また、日本人は地震のことにもう慣れている感じで、それもショックでした。
留学した後、勉強した、学んだことはどのように生かしたか?
ハサン:パンダさんは留学した後で、勉強したことはどのように生かしたいと思いますか?
パンダ:留学した後で、私はタイに戻って、1年間ぐらい自分の大学で勉強していて、卒業して、Japan Foundationでインターンシップをしました。私の専門はビジネスですが、インターンシップの後に高校の日本語教師になっています。今まで3年間ぐらい教えています。