学生による茨城観光・生活紹介

Project

祇園寺
-平和な魂のための平和な場所

取材日:2021年9月11日(土)
作成者:五来汐里、佐野澄花、Trần Khánh Vân、 Đỗ Thị Ngọc Diệp、 Đặng Hà Phương

皆さんにとって、「心の休憩所」とはどこですか? 自分の部屋、行きつけのカフェ、あるいはお寺。お寺に行くと、心が平和な気持ちになりますよね。今回ご紹介するのは、茨城県水戸市にある曹洞宗の寺院・祇園寺です。日越オンライン国際交流学習プロジェクトとして、TEAM2は祇園寺を取材しました。祇園寺の歴史から今後の展望までを伺い、さらに坐禅体験も行いました。この記事を読めば、「心の休憩所」をまた1つ見つけることができるかも?

基本情報

場所:祇園寺
住所:水戸市八幡町11-69
電話番号:029-221-5229
開門・閉門時間:午前6時から夜6時まで。電話は就寝時刻まで受付。
Website:https://www.gionji1692.com/
祇園寺への入り口

 

②祇園寺について

祇園寺の歴史:

~開山まで~
1600年代半ば。中国では、漢民族国家・明が滅び、満州族国家・清が中国を支配しようとしていた。漢民族である心越禅師は、満州族の支配を嫌って日本へ渡航した。心越禅師のような漢民族は、1600年代後半の日本に溢れるほど多くいたのである。

心越禅師は長崎に寄宿した。中国の僧が長崎にいることを聞いた水戸藩第二代藩主・徳川光圀は、水戸にわたるようにと願った。当時の水戸藩では、仏教に厳しい政策をとっていた。一方で、仏教の教えに理解を示した部分もあった。そのため、光圀は、もう一度お釈迦様の時代に戻って仏教を復興したい、中国から渡来した高僧に寺院を造ってもらいたい、と願ったのである。

〈解説!〉 水戸藩の仏教に対する厳しい政策って?
水戸藩は、仏教に対して厳しい見方をしていました。そのため、2度の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を行いました。
1度目は、徳川光圀の時代です。このとき、仏教人数が半減したと言われています。
2度目は、第九代藩主・徳川斉昭の時代です。
2度の廃仏毀釈の影響で、仏教勢力は非常に痛めつけられることになりました。

~祇園寺の開山~
徳川光圀の願いのもと、祇園寺は心越禅師の開山、徳川光圀の開基によって1692(元禄5)年に創立された。心越禅師は曹洞宗寿昌派を受け継いでいたので、祇園寺は曹洞宗寿昌派の本山となった。祇園寺は、常陸国一の寺として栄えた。

~祇園寺の危機~
幕末に差し掛かる頃、祇園寺の周辺で大火事が発生した。大火事によって七堂伽藍(しちどうがらん)が焼失した。その被害から復興しようとする頃、水戸藩では、天狗党と諸生派という二大派閥の抗争が起こる。諸生派の大将・市川三左衛門と副将・朝比奈弥太郎の2人は、祇園寺の檀家であった。諸生派の寺であるため、戻ってきた天狗党の党員に殺される人びともあった。火事は起こり、檀家は全国各地へ逃げ出して水戸の地を離れざるを得なくなり、明治初期になると祇園寺の住職になる人間がいなくなり、祇園寺は廃寺寸前まで追い詰められた。江戸時代に栄えた祇園寺は、歴史のなかで忘れ去られようとしていたのである。

~祇園寺の復興~
時は明治30年代。日本曹洞宗は、同じ親戚の寺であり、かつ歴史が長く、由緒正しい寺を廃寺してしまうことはもったいないと立ち上がった。 駒澤大学の教授・浅野斧山が派遣され、復興事業が始まった。それから150年経ち、祇園寺は徐々に復興を遂げてきた。そして、今日に至っている。

曹洞宗の教義:坐禅を通して安心立命(あんじんりゅうみょう)を得ること。心を安らかにすること。ただし、坐禅だけを禅の修行とはしていない。

特徴:曹洞宗寿昌派の寺院。本尊は釈迦如来。

建築:
~本堂~

面積は100坪。330平方メートル

 

心越禅師の尊像(左)とそれを模して描かれた絵(右)

 

中国から日本に渡る際に海上の守り神として持参した、天妃神、順風耳と千里眼の像。

〈解説!〉天妃信仰とは?
中国の福建省と台湾で非常に盛んな信仰です。徳川光圀は心越禅師を招来した際、天妃神像を常陸国に3つ(現北茨城市・大洗町・小川町)に分祀しました。 現在では、ほぼ形骸化しています。本尊は、水戸市の祇園寺に存在しています。

晋山式に用いた篭
〈解説!〉晋山式とは?
祇園寺の住職が住職になる式のことです。篭に載って祇園寺に入山します。

水戸葵がついた仏具
〈解説!〉なぜ水戸葵がついているの?
祇園寺を開基した徳川光圀への敬意です。
水戸葵を地紋にして、各仏具あるいは瓦に水戸葵を大量につけています。

釈迦如来像

~聴楓庭~
楓2本、紅葉2本 ・名前の由来は、紅葉の音を聴くということから。

~龍門庭~
真ん中の立石は心越禅師、後ろの石は徳川光圀を表す。
鯉が滝を登って龍になるという中国古代の言い伝えを表現している。

住職の一日:曹洞禅は生活全般を禅と捉えるため、一日中が坐禅である。食事は朝・昼・夕の三食。夕食は「薬石」として、薬代わりに食する。
取材を引き受けてくださった祇園寺の住職さま

地域との関わり:

~坐禅会~
座禅を中心とする布教を行っている。現在は新型コロナウイルス感染拡大によって中止しているものの、通常は第1日曜日・第3日曜日の2時から座禅会を催している。毎回40人ほどが参加し、自分磨きをしている。

~住職の仕事~ 民生委員、PTAとして活動。
在り方:地域に根ざした、地域の方々のためのお寺であること。祇園寺の来歴、心越禅師のことも踏まえながら運営をしていきたい。

 

③坐禅について

掲載する動画
YouTubeチャンネル「Ibaraki University, Center for Education」の
https://www.youtube.com/watch?v=5X2GBcezP2M
から、坐禅の様子を説明した部分(1:08:40ー1:21:30、1:43:23-1:46:40)の切り抜き。

坐禅の意味:自分自身と向き合い、心を安らかにすること。

方法:

~椅子に座っている場合~
1.部屋を薄暗くする。
2.身体の力を抜いて、一度大きく伸びをする。
3.そのままゆっくりと腰を掛ける。少し浅く座り、背もたれに背中がつかないようにする。
4.背筋を真っ直ぐ伸ばす。肩の力を抜き、胸を少し張る。
5.目は閉じない。顎を引いて、背筋と頭が真っ直ぐになるようにする。
6.足を折り曲げて、投げ出さないようにする。
7.法界定印をつくる。右の掌を上に向けて、その上に左手を重ねる。最後に両手の親指をくっつける。そのまま座っている足の上に力を抜いて置く。
8.鐘が3回鳴ると、坐禅の開始。体験版であれば15分、本来であれば40分で行う。
法界定印

~畳に座っている場合~
1.坐蒲の上に軽く座る。足の組み方は、いくつかの種類がある。
2.頭から背中を真っ直ぐに伸ばす。肩の力を抜く。
3.全身の力をリラックスさせた状態で、ただし背中を真っ直ぐに伸ばす。
4.法界定印をつくる。
5.坐禅の開始。
坐禅を教えてくださる副住職さま

 

〈解説!〉坐禅は難しい?
坐禅は単純なものです。難しく考える必要はなく、空いた時間で実践できます。坐禅を通して心を落ち着かせ、安らかにし、頭をすっきりとさせましょう。きっと、坐禅が親しみやすい存在であることに気がつくはずです。     

 

④おすすめ

日本人へのおすすめ:日々の忙しい生活に疲れたとき、ホッと息をつきたいとき。祇園寺を訪れると心身がフッと軽くなるのを感じると思います。鐘の音とともに坐禅を始めれば、悩みや欲からの囚われを脱して、心が安らかになるでしょう。祇園寺は、人びとの「心の拠り所」として門を開いています。
ベトナム人へのおすすめ:景色が素晴らしいです。日本式の建築や日本庭園には目を見張るものばかりです。日本を旅行する際には、ぜひ祇園寺を訪れてみてください。

 

⑤取材の振り返り

取材を通してのコメント:

 

取材を通して、祇園寺が人びとの人生を支え、また祇園寺も人びとの信仰に支えられてきたことを感じました。 また、坐禅体験を行うことによって、心が洗われるように思われました。日々の生活を坐禅と同じような心で送り、穏やかに生きることを大切にしたいと思います。─── 五来汐里

祇園寺の歴史だけでなく地域の人々との関わりについても知ることができました。さらに、日本の人々にとっての寺院の存在の大きさを再確認しました。 日本語には仏教が由来となってできた言葉がたくさんあるので、それについても調べてみようと思います。─── 佐野澄花

祇園寺はとても広く、整然としていて、綺麗で美しいと感じました。建築様式はベトナムのそれと違っていました。 日本の曹洞宗と寺院について、多くを学ぶことができました。─── Trần Khánh Vân

坐禅体験が印象的でした。─── Đỗ Thị Ngọc Diệp

日本の寺院は、ベトナムとまったく異なります。私にとって、祇園寺の建築様式はとても独特で新しいものでした。 また、適切に瞑想する方法も学びました。瞑想はとても興味深く、便利だと感じました。─── Đặng Hà Phương

 

平和な魂のための平和な場所……