学生による茨城観光・生活紹介

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4年生y.hさんの経験

 

y.hさんの東日本大震災の経験

今、私は茨城大学に通っている四年生です。専門は英語教育です。私は男性で、22歳になります。もうすぐ卒業しますが、公務員の仕事に従事するつもりで、特に行いたいことは来日留学生の支援です。

私は茨城県で育ったので、ここは私の故郷です。東日本大震災は茨城県にも大きな影響を与えました。私もこの大震災を経験しました。地震が起きたとき、私は10歳でした。そのとき、小学校に通っていました。2011年3月11日の午後3時ごろ、東日本大震災が発生しました。小学校が避難所であったので私たちはそこにいました。午後6時頃、私と家族は千葉県の市立銚子高校に避難しました。そちらのほうが地面が高く避難場所の面積も広いです。だから避難場所として適しているのです。私の小学校は海に近いので、地震にくわえて津波にも備えなければいけませんでした。ですから、高いところに行くことで津波から身を守ることができます。地震が来ると、みんなは屋外の広い場所に避難しました。地震の波が落ち着くと、みんなは屋内に戻って津波から避難しました。
地震が起きた瞬間、私は恐怖を感じました。建物が倒れているのを見た人々は慌てていました。窓ガラスが割れるなど物がたくさん壊れて、恐ろしかったです。地震のほかに、津波もあるため私は特にそれが不安でした。なぜならそのときの私は身長も小さかったですし、こんな大きな地震は初めてだったからです。

 

y.hさんの地震に対するアドバイス

地震への備えには、二つのことが必要だと思います。まず、普段から避難訓練をしておくことが必要です。たとえば、小学校では年に1~2回の避難訓練があります。避難訓練をすることで、できるだけ災害が来たときに冷静になり、被害を最小限に抑えることができます。また、避難訓練を通じて防災への意識も高まるでしょう。それはいいことだと思います。その上で、非常袋を用意しなければなりません。普段から、災害のときに持っていくものを計画しておくべきです。特に水と食べ物が必要だと思います。食べ物はレトルトカレーがおすすめです。フタを開けてすぐに食べられるので、とても便利です。しかし、加熱設備がありませんから、冷たいものしか食べられません。でも、災害にあった人々にとっては、食べ物があることはありがたいことです。また、電話も必要です。東日本大震災が起きたときはスマートフォンがあまり普及していなかったので、そのころの人にとっては連絡手段が限られていました。今であれば、スマートフォンを持っていくことも必要です。持っていく余裕があれば少し現金を持っていってもいいでしょう。個人情報つきの証明書を常に持ち歩いている人々は少ないと思いますが、保険証などは持っておくといいかもしれません。
実際に災害が起きたとき、二つのことを行うのをおすすめします。まず、地震が起きると津波を伴う可能性がありますので、できるだけ高いところに行って津波の被害を避けるようにしましょう。そうすることで、自分の身を安全に保つことができます。次に、できるだけ家族に連絡を取って、自分が安全かどうかを伝えることです。緊急で家族と電話やメールができない場合は伝言ダイヤルを選択しましょう。伝言ダイヤルを使えば、家族や友人に自分の現状を最速で伝えることができ、避難している時間を無駄にしません。これは非常に役立つと思いますので、伝言ダイヤルの使い方にも慣れておく必要があると思います。

インタビューの感想


T

まず、y.hさんに今回のインタビューに参加していただきありがとうございました。今回のインタビューでは、東日本大震災の様子をうかがうことができました。子供にとって東日本大震災は悪夢のようなものでしょう。私たちは自然災害の被害を悲しんでいます。避けられないことに対して私たちにできることは、災害に備えることだけです。y.hさんが言うように、水や食べ物を用意して、家族に自分の状況を伝えるべきです。災害が来たときには、安全なところに行きます。私たちは慌てず、恐れすぎないことです。冷静になることで、損失を最小限に抑えることができます。

 


L

3月11日、突然の大地震と津波が日本を襲った。想像を絶する大ダメージ。津波が街を飲み込み、何も残らない地域の様子がテレビで放映されました。数日後、ニュージーランドの首相が日本への援助を発表したことをテレビで見ました。 「日本は再び支援を受け、他国からも支援を受けている」 テレビでニュージーランドの首相の言葉を聞いて、地震の恩返しをするための行為だと思っていたクライストチャーチに驚きました。彼らの国は地震で被害を受けていますが、感謝の気持ちを込めて日本に来て救援物資を届けました。ニュージーランドで地震が起きたとき、日本がどんな援助をしたかを調べました。昼夜を問わず働き、緊急救援物資を送ったのは日本の救援隊でした。知識を深めるうちに、タイは日本からずっと援助を受けてきた国ですが、今回の震災では日本に多くの援助をしてくれたことも知りました。
「慈悲は他人のためではない」ということわざを理解した気がします。あなたが他の人に親切に接すれば、他の人もきっと同じようにあなたに接してくれます。日本はこのモットーを外交に使う国だと思います。もし日本が目をつぶって、困っている他国を助けるために手を差し伸べないなら、おそらく日本は世界から孤立し、世界は日本を私利私欲の国と見なすでしょう。そして、最も困難な時期に、誰からも救いの手を受け取ることはありません。すべての国が日本のようにできるわけではありません。