学生による茨城観光・生活紹介

Project

教員北先生(理学部、50代)の経験

 

先生インタビュー「私はドアをあけ忘れた」

当日午後3時ぐらいだったので北先生はまだ茨城大学にいました。「地震が起こった時にG棟の私のオフィスにいました。そのようなことが本当に起こるなんて」と北先生が振り返りました。

 

「水が止まる、電気が止まる、どうやってサバイバルするか?」

いくつかすごく印象的なことがありました。一つは、とても大きな地震だったので、建物にひびが入ったり、道路が崩れたりしました。地面にもひびが入ったそうです。
いろんなインフラが止まりました。水も止まり、電気も止まりました。車も走りませんでした。お店も閉まっていました。その状況の中でどうやってサバイバルするかは困難でした。幸い、北先生の家は大丈夫でした。家はたとえば、家具をちゃんと壁に固定したからほとんど被害がありませんでした。家の中でキャンプしたみたいだったので、子供たちは楽しんでいました。先生は家に帰ったら水が止まるため、風呂に水をためておきました。市役所から水の配給があったとき、水タンクをもって、行列に並んで水をもらいました。
家に食料の備蓄もそれほどなく、最初は残りの備蓄を食べました。大きな店より地元の店のほうが早く開いたから、物が手に入りました。災害の時、本当ににそういうことが起きるんだと体験できたと先生が言いました。

 

今後、このような災害に備えるために、他の人々へのアドバイスやメッセージはありますか?

北先生によると、地震が起きた時にどうすればよいか日本では子供の時から習っていました。しかし、それが実行できるかどうかは別の話だとも話しました。地震が起こった時、北先生は固定してない棚を抑えていたけど、本当は机の下に入ったほうがよかったと言っていました。また、建物が変形するとドアが開かなくなることがあるため、A先生はドアを開けたり窓を開けたりして、エスケープルート(避難経路)を作ったが、北先生はそうはできませんでした。「子供の時いろいろ習ったけどちゃんと自分の物にしないと、それぞれの災害が起こった時はどうするかわからなくなる。その場所でどんな災害が起こりうるか、普段からやるべきことを考えておかないと実際にに起きた時は、対応できない。最低限の水や食べ物を用意しておくとか。車のガソリンが半分になったら入れておくとか。普段からそうすると何かが起こった時それほど困らないだろう。」と北先生に教えていただけました。

 

感想


D

東日本大震災が起きたとき、私は26歳でした。 テレビや新聞でニュースを見ることは、インサイダーの実際の経験と比較することはできませんでした。北先生のインタビューのおかげで、私は当日の災害についてよりよく理解しました。