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はじまりの夏

農学研究科

留学期間2012年度研修 地域サステイナビリティの実践農学教育

 私達が通学している農学部の阿見キャンパスには、インドネシアやスリランカ、ブラジル等々の国々からやってきている多くの留学生がいる。農学部の学生しかいないこの狭いコミュニティでは、意識さえあればそんな留学生達と密にコミュニケーションをとることができる。元々妙に留学生の人と接するのが肌にあっていた私は、留学生と一緒に食事をしたり、遊びにいったりすることが多い。留学生達と話をしていると、彼等が日本人よりもはるかに自分達の母国のことについて考え、母国が発展するために自分がどのように貢献すべきかを真剣に考えていることを知る。自分と同年代の彼らが、そのような高い意識をもっていることは私にとってとても新鮮であり刺激的だった。そして自然と、私も彼等のように異国の地を経験したい、彼等の母国について知りたいと思うようになった。そんな時、サマーコースというプログラムの存在を知った。サマーコースは、1週間インドネシアの大学に行き、同学年の学生達と様々な課題を解決していくという副専攻プログラムである。サマーコースについては、一つ上の先輩から聞く「やることが山のようにある」「コミュニケーションをとるのが大変だった」「だけど最終的には楽しかった。絶対に行くべきだ」といった話がその情報のほとんどだった。その他にも具体的にインドネシアですることの説明も受けたが、行く前の私にとってそれはほとんど記憶に残らなかった。とにかく自分にとっては、留学生の彼らがしたような体験を自分もすることが大事なことだと思っていた。

 サマーコースの期間中に我々に課されていた課題は、プレゼンテーションおよびポスターによる自分の研究の紹介、日本およびインドネシア教員による講義の受講、フィールドワーク、そして最終日に発表するグループでのプレゼンテーションのための準備が主なものだった。サマーコースでは、不慣れな英語という言語を使って、ひとつのプレゼンテーションを作成するための議論をせざるを得ない環境下に学生が置かれた。その過程は、非常にストレスフルなものであっただけに、自分には何が必要なのか、という問題提起がなされたと思う。

 私はこうした経験が、サマーコースでなければ得られなかった経験だと思う。プライベートで海外に赴いたとしても、学生とある一つのテーマについて数日間議論する機会はそう得られないし、日本では効率を考えて当然日本語を使うため、問題解決のために英語を使う機会がない。私は今回の経験を通して、英語の勉強、特にボキャブラリーの獲得の必要性を強く自覚した。それは、日本にいて、留学生と会話しているだけの経験では決して促されることのない強い自覚だったと思う。どんなに理解したいと思っても、相手が話している言葉の意味を理解できない時、あるいは、どんなに伝えたいと思っても、自分のイメージを相手に伝えることができない時、「英語を勉強しておけばよかった。」という強い後悔の気持ちに駆られた。また、必死に理解しようとしている相手に対して申し訳ないという気持ちと、理解できずに相手が顔をしかめている姿を見ると焦る気持ちを覚えた。日本で留学生と話している場合、留学生は日本語を使えることも多いので日本語で話し直すことも出来たし、他にも日本人の学生がまわりにたくさんいるだけに、「まぁ分からなければいいか。」というような気持ちがどこかにあるから、ここまで真摯に後悔、反省することはなかったと思う。

 一方で、コミュニケーションする意思を相手に示すこと、笑顔や相槌をうつことだけでも、ある程度の相互理解、信頼関係の構築が達成されたことで、自信を得た部分もあった。現在、私が出来ているコミュニケーション形態に、言語能力が付随されるだけで、もっと会話を楽しめるし、問題解決のための議論もより高度なレベルで達成できるだろう、という見込みがついた。ボキャブラリーが少なく、伝える能力が無ければ自分のイメージが相手に伝わることは絶対にない。相手のイメージを理解することにおいてもそれは同じことだ。日本にいると、曖昧なままでも相手がこちらのイメージを察してくれることもあるし、相手の言っていることを完全に理解していなくても、理解したような雰囲気をつくりだすことはできる。英語を使ったコミュニケーションでは、わからない事はわからないとはっきりと言わなければ、後で相手に大きな失望感を味わわせるだけなのだということも感じた。心が強ければ、自分にできないことはできないこととして受け入れられるし、心が弱ければ、自分にできないことが受け入れられずに、ごまかしたり、愛想笑いを浮かべたりしてその場をしのいでしまう。そういう傾向は、自分も含めて、日本人の悪い癖であると感じた。

 サマーコースを体験しなかった人なら、「国費で海外に行けていいな」、「そんなプログラムでどれほどの成長があるんだ」、と思うかもしれない。しかし私にとって、海外に赴くことの刺激は計り知れなく大きいし、また、英語のみが共通の言語であるインドネシアの大学院生と議論することの価値は、他のどんな体験とも比べることができない貴重な経験だった。私は自分の同学年の人や後輩に、このプログラムに参加することを是非勧めたいと思う。なぜなら、このプログラムは自分自身の心の弱さや、自分にとって何が必要なのかを強く自覚できる機会だと考えるからである。それは、日本で催されるどんなプログラムでも代替の効かないものだと私は思う。

 私は、今回のこのプログラムに参加する機会を与えてくれたことに感謝したいし、このプログラムに報いるためにも、気持ちを新たにして日本での学生生活に励みたいと思う。それは、英語の学習のみならず、自分の発言に責任をもつことや、自分ができないこと、わからないことを素直に受け入れた上で“何ができるのか”を考える心構えをもつことなど、精神的な面での成長も含めて。そして、もしまたこのような機会に恵まれれば、今回達成できなかったことを克服し、成長を実感できるような人間になっていたいと思う。